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古屋和恵 95才


インタビュー質問事項の応答

(質問者:妃呂美 McPhail。 応答者:古屋和恵。2017年6月9日記す) 

1) 生年月日: 1922年 大正11年 2月11日 (子供のとき、母は、私の生まれた日は、大正11年1922年、2月11日の紀元節(今の建国記念日)の祝日の午前11時で。そとは、奇麗な雪景色で、この子は恵まれていると思ったとよく嬉そうに話してくれました。そこで平和の和(人の和)と恵で和恵と命名された。)

2) 出身地: 上海

3) 職業: 引退

4) カナダに移住された年 : 47才 1969

5) 移住された理由 : 既に移住していた末弟が、未亡人となっていた78才の母と姉の私に、スポンサーとなって呼び寄せてくれたとき、私は、離婚後だったので新しい環境で、出直したい志向がつよくあったからです。

6) 食生活は和食?洋食? : 朝食は洋食。昼食と夕食は、和、洋食に加えて、中華料理その他の国の料理など混在。

7) 特に気をつけてるダイエット: 減塩食。鉄分の量が少ない身体なので、海藻を含む健康食品(すこ    やか玄米、お寿司には白米)。いろいろの種類の無精白パン。たんぱく質は、主に、鶏肉、魚(背の青いもの、鮭)、豆腐類、時に豚肉。牛肉は、2か月に一回位。酪農製品は控えている(肝臓が陽になりすぎる為、色の黒い食品を栄養師に勧められた。)野菜、果物、ナッツ類はたっぷり。豆類をもっと取るべき。食材も多くの色合いを。間食、デザートは、少々。

8) 運動はされていますか?: 就寝前に必ず、膝をまげる体操、40回。腕立て伏せは壁を使って20回。両手を強く左右に伸ばし、胸郭をひろげる。昼間は、10分間のNHKのテレビ体操を週に2,3回。出来るだけ、歩くように心がけている。戸外では芝生を歩き地熱を吸収(?)する目的(高層ビルの空中居住故)。

9) 睡眠時間、起床、就寝時間、昼寝時間: 低血圧気味なので、睡眠時間は8時間から10時間。起床は、8時と9時の間。就寝は10時過ぎから12時の間。昼寝時間は30分が理想ながら、前の日の疲れ具合いで、1、2時間が多い。結果、夜中に目が覚め、寝る前に読んでいた本を寝床で、1時間前後読む。睡眠の質はよくないと反省している。30分以上歩いた日とか、体を長時間動かした時は5時間快眠、あと2,3時間の仮眠で起床。

10) 趣味: 絵(油、主にアクリル、スケッチ)を描く。クラッシック音楽を聞くのもキャジュアルとなっている。月一回の俳句会での俳句づくりと合評。。就寝前と夜中の読書。昼間の読書は、英語の週刊と月間雑誌数種。政治には強い関心はないので、主にテレビ情報から。独自の料理つくりと、客を手作りの食事に招待。旅行(以前は行き先に関する目的があったのか、最近は人に会うため)。数人と遊ぶトランプゲーム(Pounce といって、15才のときに紹介された)に最近はまっている。カジノのスロットで、時折、気晴らしに仲間とゆく。

11) 運転されますか?: はい、運転免許が続くかぎり、運転を希望。

12) 今までに大病された事ありますか?: はい。12才の夏、お刺身をたべて腸チブスで一か月。(当時の上海は衛生状態がわるく、夏にお刺身を扱った人が保菌者だったようで、二人以外食べた6人が罹病。その二人は、前に罹病していたので免疫のあった父と、焼き魚として食した長男の弟)。

13) 旅行されて一番思い出に残ってる所: トルコのカパドキア。

14) 日本語と英語の他に話す言語: 上海語。上海は私の生まれ故郷なので、地元の中国人と用を足すのに必要な上海語を、覚えたのと、女学校(12才から4年間)の授業で上海語会話を習得。フランス語とドイツ語は初級程度。

15) 最近どこかに旅されましたか?: 今年の二月に一か月アメリカのNew OrleansとFort Lauderdaleにゆきました。

16) 更年期障害はどのように乗り越えられましたか?: あまり覚えていないのですが、大したことはなかったと記憶してます。

17) 美容(スキンケア、ヘアケア、メイク)などで気をつけている事: スキンケアとメイクはNuSkinの製品を紹介された20年前以来、使用している。誰にも会わない日は、素肌のままで休ませている。マニキュアは3年前まで、手の指に薄いピンクを自分でつけていたけど、友人が、爪も皮膚のように呼吸しているからマニキュアはやめたほうが良いといわれ、以来そのまま。メイク落としには、4年まえに訪日中、資生堂の製品を店員から推薦されたのを使用している。日本の姪から二年に一回くらいの割でその製品を送ってもらっている。ヘアケアは、50台から、自分で染めだした。白髪が顔に映りが合う人と会わない人がいるようで、私は後者らしい。移住以来、美容師に週一回、洗髪、セットを。4週間ごとに薄栗色に染め、3か月ごとに、パーマをかけてもらっている。

18) お洋服で拘っているポイント有りますか?: 色彩に強い関心がある為、着る物の色の調和を直感的に感じ取ってあわせている。昔ほど、ファッションを追わなくてもよい時代なので、有るもので、まにあわせている。

19) 若い世代の方へ、これだけは知っておいたほうがいいよと言うアドバイス: 自分がこの世に誕生したとき、安産だったか、難産だったかなど、その状況を、母親から詳しく聞いてください。自分のもっている特徴とか、性格の一部が理解されるはずです。あなたが母親である場合は、ひとりびとりの子を出産した時の状況を、思い出して、書き留めおき、適当な時期に話さることをお勧めします。子育てにも大いに役立つはずです。なぜ、この子は攻撃的なのかとか、素直なのかを理解するよすがとなります。私自身は、子供をつくらない結婚を選んだのですが、子供は大好きです。アメリカで留学中にPlay Therapyというコースで、この大事なことを学びました。ですから、保育者、教育者、結婚相手をはじめ、同僚など、人生で、近しく交じり合う人たちを理解する上にも応用できるでしょう。

20) 年を重ねるとは和恵さんにとってどういう事でしょうか?: 私にとって、年を重ねることは、有難いこと、長寿となるのは難しいことですから、有難いのです。そして、神から生かされているからには、私にすべき事があるという論理です。その実例を。

1977年の11月半ば、55才の私は、12,000キロ運転した後、モントリオールから帰路について一時間、417ハイウェイを運転中、西空に飛行機雲が井桁の形になっており、夕日が当たってそれは奇麗な色に輝いていたので、何か良いことがあると心を弾ませていた、ところが、眠気がさしてきて、あっという間に、居眠り運転となり、Maxwellちかくで私の車が右側にそれ、溝にあたって半回転。結果、左の手首のうえの腕の二本の骨を二つにポキン。その瞬間、私は死んだかもしれないのに生かされていた!神様のみ心は何かと自問して、その答えは、「あー、長いこと絵から離れていたから、きっと絵を描かねば」でした。翌年の9月から抽象画を習い始め、面白いように沢山の作品ができ、Art Dealerもついて結構売れ始め、またNPOの募金に絵を寄贈しました。91年までの13年間、昼間の仕事以外の時間をSemi Professional Artistとして過ごしました。現在、その間とその後描いた絵が二三十点、未完成の絵数点ありです。

ところが絵を描きだして4か月後に、日系人教会主催の日加修好百年記念伝道集会をオタワで開催する可能性をしらせる手紙がモントリオールの牧師だった弟から私に届き、1978年の4月末に開催。40名の出席者の内16名が移住者でした。日本語の教会のないオタワに、せめて、信者の集会をもってはと、内地からの講演者は私に勧められるのでした。私には、かなり逡巡があって、半年後にそれまでに私に与えられた多くの恵みをお返しする機会ではないかと確信するに至り、8人の発起人が集合。そのなかに、知り合いとか同じ教派の方とかがいらして、すぐ打ち解けあい、集会の創立に満場一致。最初の集会には、参加者の男性は全員教授の資格をもつ科学者のクリスチャンでしたから、私一人で指導しなくてよい事がわかり、神様がちゃんと用意して下さったと感謝でした。そこで、当番は、持ち回りとして、で家庭集会をひらき、聖書を勉強しました。10人からはじめた、オタワ聖書研究会会員は、多い時は30人、36年後の閉会時は12人でした。12人といえば、イエスの弟子たちと同じ数ですね。偶然の一致です。

21) 好きな場所: 晴天の見える場所も好きですが、白い雲が見られる場所がすきです。雲と私はなにか共通点があるように思えるのです。ベランダや走らせている車の中が好きな場所と言えるのでしょうか。

22) 一番楽しい時って何時ですか?: やはり、肉親と一緒にいられるときが一番楽しい時でしょうね。私には兄弟姉妹の配偶者がアメリカとカナダの二世で、8人と6人の兄弟姉妹が北米にいますかた、Family Reunionのときには、40人以上が集まるので、こういうときも、とても楽しい時です。また、カナダに義妹と甥夫婦、アメリカに弟、甥、姪二人とその家族などがいますから、彼らと会える時は一番楽しい時と感じています。

肉親のいないオタワでは、それに準ずる人は心置けない親しい友人たちと食事を一緒にしたり、ゲームに興じたり、おしゃべりをしたりする時とか。パソコンやアイパッドで、距離に関係なく、メールや写真など送受信が瞬間的にできる現在の幸せは時代て、それをよんだり、見たりする時など、内容によって、一番楽しいと言えると思っています。

23) 健康な生活を送る秘訣: 私にとっては、健康な生活を送るのに欠かせないものとして、まづ、心の拠り所を持つこと、信仰をあげます。信仰が生きるうえでの基盤です。なぜなら創造主である神と私の縦の関係が、横の私の人間関係に繋がっているからです。祈りと聖書の言葉が私の人生の支えです。

次に、身体の健康は何を食するかにかかっています。食材や献立は自分の好みでどうしても片寄りがちになりますから、Organic Food Supplementによって、足りない部分を補ってもらうことが大事なポイントだと体験から思っています。(私は50台から、めまい、立ちくらみなど低血圧の症状があって、その原因が鉄分の不足にあることをしりました。70台半ばになって幸い友人から、NuSkinのFood SupplementであるLifePak for Women を勧められ、服用した結果は、徐々にヘモグロビン値が上昇。次にLifePak for Seniorを、4年前からLifePak Nanoを服用。これは、Senior 用なので、鉄分が含まれていないのに係わらず、私のヘモグロビン値が平常値に達したのです。ふらつきなど全然なしです。ということは、この新しく開発されたF.S。はNanoのレベルで製造されているからか、体内での食べ物の栄養、ミネラルの吸収がNanoのレベルでされている事を証明していると解釈しています。NuSkinの免疫性測定器によると、私のは最高値に達しています。この、95才の超高齢者がです。)

そのほか、筋肉のこりなどは、指圧、マッサージの療法が効果的。いろいろなものに好奇心をもち、知っているものにもさらに高めたい、深めたい向学心を何時までももって、それを満たしてゆくこと。Volunteerなどの人に奉仕できるものを持つことは、自分を豊かにする一つの方法です。

精神衛生上、気晴らしは絶対必要。親しい友人とか、新しい友人との楽しい交わりの輪に参加することなどでしょうか。

24) 今後の抱負、プランをお聞かせください: 持ちものに執着しないで、手放すことを実践して、身の回りの洋服、本、その他を整理整頓をしたい。いつか、絵の個展を開きたい。

在米の二番目の弟とは、毎年会う機会がありますが、東京の一番目の弟とワイフ、栃木の妹夫妻の4人に、出来れば今年の秋に再会をと。

この5月から、私の仲間3人はこのオタワでの恵まれた生活のお返しにトランプゲームをするたびに、少額の貯金を始めていて、年末、貯まった全額をクリスマスプレゼントとして、栃木にあるアジア学院(Asian Rural Institute, ARI)に送金することにしました。(奨学金の一部として充填を希望)。この目的達成も今後のプランです。(アジア学院は、42年前、高見敏弘牧師、妹の主人が創設。開発途上国の農村指導者養成を目的とした特殊学校で那須塩原にあります。現在まで40以上の国に千人を超える卒業生が、ARIで習得した効率よい指導力を発揮している。)

もう一つのプランは、私の家族史を書き上げることです。17才のとき、子供時代を綴った作文を、原稿用紙46枚にかいて、国語の教授に提出。先生から、“魔の都市、上海に、このような穢れない場所があったとは!続きを是非読みたい”という感想をもらいました。その原稿は住処の移動が激しかったため、手元にはないのですが、記憶として、まだ健在(?)。租界が中華民国に存在していたころの、特殊な時代環境でのことです。  

以上。


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